「信じて待つ」は「放置ではない」と思う話

不登校

こんにちは!ぽちママです。

不登校対応について、信じて待つ、というワードがありますが、もちろんこれ、放置ではないと思います。

私は今まで一度も放置したことはありません。

ちなみに「放置」とはそのままにしてほうっておくこと。所かまわず置きっぱなしにしておくこと。(例「問題を未解決のままに放置する」「放置自転車」)
だそうです。

この例がまたいい感じに朽ちていく姿を連想させますよね。
あぁ、怖い。

よく不登校児の保護者に「放置している」みたいなことを言っている人がいるんですけど、これ絶対に違うって私には分かります。

みなさん本当に試行錯誤していて、その中でなんとか我が子を信じて待とうとしている方ばかり。

私が考える「信じて待つ」は寄り添うこと、本人が動き始めるまで無理に動かそうとしないこと
「寄り添う」ということは、子どもの気持ちを尊重した関係性を保つこと。

不登校になった子どもって、どんな原因であれエネルギーが空っぽ。
そんな時にガシガシ動ける子はいません。
それをあちらこちら行かせようとしても到底無理。
その子のペース、これを守ってあげないとエネルギーは一生貯まらないと思います。

そしてそのエネルギーも一朝一夕で貯まるものでもなく、今か今かと待っている保護者にとってはこれほど辛い時期もないと思います。
エネルギーの貯まらないうちは風呂にも入らず歯磨きもせず昼夜逆転など日常茶飯事で、この子は一体どうなってしまうんだろうと日々不安になりますもんね。

他人だったら、これこそ「放置」して、もう見ないようにします。
親だから「もう放置してしまいたい」と思っても、また寄り添おうと試行錯誤をし始めるんだと思います。

「信じて待つ」というのは内側の中でしか分からない状態。
子どもが話をしてくれるようになった、笑顔をみせてくれるようになった、お風呂に毎日入れるようになった、ちょっと外に出てみようかなという気持ちになってきた。
これが「信じて待った結果」だと思います。
でも外側の人から見たら、相変わらず家から出てこない、すなわち変化がないように見える。
だから「信じて待つ」という言葉を隠れ蓑にし、親が「放置している」と判断するのかなと思います。

私たちが子供の頃に不登校になった人たちは、情報も少なく、閉鎖的な社会の中で本当にご苦労されたと思います。
ですが今はネット社会。
不登校児の保護者同士も知り合えるし、当事者とも知り合える。
お互いに情報を共有し、有意義な意見をくれる人も沢山いる。
それこそ頭でっかちの一般論振りかざすような人たちより、現実を知っている人たちと直接話すことが出来る。

だからきっと大丈夫。
子どものエネルギーはきっと貯まる。
それを信じて待ちましょう。

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