ありのままを受け入れるとは? 〜私の考えた結果〜

こんにちは!ぽちママです

不登校関連の本の中でよく「ありのままを受け入れる」とありますが、「ありのまま」って何?となりませんでしたか?
私は最初それがよく分かりませんでした。
ですが今は私なりにその答えに行き着きました。

最初は「今不登校になっている息子を認める」ことだと思っていました。
昼夜逆転でも、ゲーム三昧でも、勉強をしなくても、その息子を受け入れることだと。
でも今は違います。
今は息子が持っている良い部分を見つけて伝えることだと思っています。
例えば慎重さ、優しさ、平和主義、食が太い、身長が伸びた、買い物袋を運ぶなど些細なお手伝いをしてくれることなど。

息子が生まれつき持っている気質も含め今できていることや成長に注目し、言葉にして伝えることが「ありのままを受け入れること」だと考えています。

学校は基本的にスキルを身に付ける場所です。
そのスキルとは勉学、スポーツ、委員会活動、課題への取り組み姿勢、順応性、協調性。
学校に通っていた頃の息子は当たり前ですがそれらスキルの習得で評価を下され、私はそれが社会に出た時の息子の評価なのだと思ってしまいました。
だから今のままではダメだと息子を叱咤激励し、やりたくないことを後回しにしてはいけないと息子の生活に事あるごとに口出ししました。
だからこそ不登校になった時は「そこに耐えられなかった息子をそのまま受け入れる」ということだと勘違いしてしまいました。

学校生活から離れて十分な期間がたった今、そうは考えなくなりました。
そもそも学校を通して息子を見ている時点ですでにそれは「ありのまま」では無いなと。
私の息子として生まれ、何もできなかった乳児の時からここまでの成長、それこそが今の息子の「ありのまま」であるのではないかと考えました。

そう考えると息子は沢山のことを習得したし、大切なことを沢山身につけていました。
それは当たり前のことかもしれません。
当たり前のことかもしれませんが、もしかしたら息子は沢山努力して身につけたものかもしれません。
箸の持ち方、靴紐の結び方、手の洗い方など、些細なことでも全て生まれてから息子が自分で習得したことです。
当たり前だと思って見逃すことは、息子の努力さえもなかったことにしてしまうこと。
敢えて息子が「無意識に出来ていること」に注目し、言葉にして伝える。
埋もれてしまっていた良い部分を息子の意識に上げること。
それが私の考える「ありのままを受け入れること」です。
「学校に行けなくなった自分」ではなく「良い部分を沢山持っている自分」に息子が注目できるよう。

学校に行くことは人生のほんの一部です。
そのほんの一部が不登校に終わったとしても息子の大切な部分が潰されないよう、これからも「ありのまま」を大切にしたいと思います。

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