ガチガチの義務教育システムが特性のある子をより苦しめ、自立を妨げていると思う

不登校

こんにちは!ぽちママです。

昨日、相互フォロワー様とTwitterでお話していて過去のことを思い出しました。
それは息子が小学1年生の時に発達検査を受けた際のこと。

発達障害とは何なのか、自分で自分のことをやれるようになるのか、この子はどうなってしまうのか、私はそんなことを質問したと思います。

私の質問に対し、相手の方は次のように答えたと思います。

検査結果のみ発達障害だとは判断しない。
障害=「社会との壁」と認識している。特に発達障害は目で見てわかるものではないから、本人が生きづらさを感じれば障害であるし、特性があっても大きなストレスを抱えずに生きていくことが出来れば障害とは言い切れない。
「社会との壁」が高いか低いか。
生きづらさを軽減するために「社会との壁」をいかに低くするかが大切。
ちなみに日常のことは出来るようになる。

その時に私は勘違いをしました。
社会との壁を低くするには、集団生活が苦手な息子を集団生活に馴染ませるようにすることだと。
でもその結果、息子は転換性障害で立てなくなり、立てるようになってからも不登校になりました。

ですが今は「不登校」という現状こそが息子に合った生き方であると思っています。

なぜなら、ガチガチの義務教育システムで生活することは息子の特性にとっては苦痛が非常に大きく、自己有用感、自己肯定感を著しく損なうから。
義務教育システムに合わせようとすることが何より息子にとっての苦痛そのものだから。

これがまさしく発達障害ということになるのだろうと。

義務教育は定型発達児に対応したシステムだと思います。

  • 大人数のクラス
  • 定型発達児に教えることを前提とした教職課程
  • ディスレクシアの子たちが学びやすいようなツールの選択肢も学校からの配慮もなし
  • みんなが同じでなければ学級運営はできないという先生からの圧力や生徒からの同調圧力

「社会との壁」を高しているのはまさに義務教育。
学校に行くうちに、どんどんどんどん「社会との壁」が高く高くなってしまう。

自分は人とは違う。
違うことは迷惑を掛ける。
迷惑をかけるのは悪いこと。
学校に居づらい、行きづらい、生きづらい。

そして高い壁が維持されたまま社会に出てしまい、本人が苦しいまま自立を強いられる。
しかも義務教育に馴染めた人たちと同じような環境で。

私が今息子に対して行っている「社会との壁」を低くするという取り組み。
それは息子の特性を理解してこの先どういう風に生きていくのが良いのか、そのためにはどうしたら良いのか、そしてそのためにはどんな支援が必要なのかを探りながらサポートしていくこと。

息子は集団生活は苦手なので将来はフリーランスで仕事をしたいと考えています。
じゃあそこまでの道をどうするか、どの高校に行ってどう実績を積むか、そういうことを考えて行動しています。
結局私たちが出来るのはオープンキャンパスに付き添ったり、学費を出したり、息子が欲しがる本を買ったり、プログラミングオンライン学習の契約をしたり。

方向性も方法も提示は出来るけど最後は息子自身が決めるしか無い、息子の人生だから。
これは特性があろうとなかろうと同じこと。

だから私は学校に行かないという息子の意思をずっと尊重しています。

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