世の中のお母さんは不死身ではないと叫びたい

不登校

こんにちは!ぽちママです。

私は子どもの頃、私の母は不死身だと思っていました。

なぜなら、
母は子どもを産める。
母は家事も仕事もできる。
学校の対応も、病院に連れて行ってくれるのも母だし、父はなにも分かっていない。
いつも母は頑張っているし、父はゴロゴロしている。
実家の父と母はそんな感じでした。

これはもう家庭の影響が大きいと思いますが、私は母親の存在が良くも悪くも非常に大きく「母はもはや不死身なんじゃないか?」なんて勘違いをしていました。

そんな私が母親になった時の母親像は、やはり私の母親が基準になりました。

子どものことは全部母親がやる、いつも時間に追われるのは当然、ゆっくりする時間なんてないのが当たり前、誰かが手を抜いても自分は手を抜いてはいけない、逃げてはいけない、自分を甘やかしてはいけない、楽をしてはいけない、弱音を吐いてはいけない。
しかも母親の時代に比べて仕事の休みも、国民の祝日も多い。
だとしたらその分更に家庭に手間を掛けなければならない、そんなことも思いました。

だから何でも私だけで家庭が回せるように努力して、どんなに体調が悪くても仕事に行って、体調が悪くても子どものお世話は私がして、、、。

でもね、不死身の人間なんて当然いない。
辛い時は辛い、苦しい時は苦しい。
それを素直に出さないと、私の周囲の人のことを許せなくなってしまう、そう気が付きました。
こんなに苦しい思いをしながらずっと笑顔でフラットでいることなんて出来ない。
私はキャパが狭いから、無理をするとその無理を家族にも求めてしまう。
私が頑張っているんだから皆んな頑張ってくれ、と。

自分自身にプレッシャーを与えて自分自身を追い込んで、その結果家族を巻き込む。
よく考えてみたら私の母親も同じような感じでした。
だから私は家で心が休まらなかった。
常に母親のペースで動かないといけなかったから。

だからもう私はとっくに「非・不死身」宣言をしました。
私は不死身じゃない、みんな不死身じゃない。
組織のために自分を犠牲にする必要はない、個人を尊重しても良い。

息子の転換性障害、不登校を経て得た「非・不死身」の気付き。
完璧であることを手放すことで、自分も家族もありのまま過ごせるようになりました。

コメント