学校よりも社会の方が多様性に満ちていると思う話

不登校

こんにちは!ぽちママです。

私は今、息子が学校に行っていないこと、学校復帰に向けての動きがないことに対し、特に不安は感じていません。

それは何故かというと、学校が特殊な環境であると認識しているから。

でも不登校になった当初は「学校にすら行けないなんて社会ではやっていけない」そう思い、相当不安になりました。
だから社会に出るためのトレーニングとして学校には行った方が良い、そう思って色々息子にアプローチをしていたものです。

社会の縮図が学校である、そう勘違いしていました。

でも今思うと、学校ほど特殊な環境は「社会」に出てからほとんど有りません。
学校が子どもたちに求めることは、「同じタイミング」で「同じ内容」を「同じやり方」でやること。
それが最優先。
性別や気質、価値観、体格差、遺伝、家族環境など配慮しないといけないことが沢山あります。
でも学校はそれらに配慮をしていない。
昔は男子は技術、女子は家庭科でしたが男女平等の名のもとに今では全く一緒。
性別で決められることは確かに問題ですが、そもそも性別の中にも個人差が大きく存在するにも関わらず個人差に対しての配慮がない。
学校はなにも勉強だけをする場所ではない、そういう人達は沢山います。
対人関係のスキルを学ぶ場所、そういう人も沢山います。
でも学校の対人関係は「同じタイミング」で「同じ内容」を「同じやり方」という前提での対人関係です。

息子は相当こだわりが強い、そのことは幼い頃から明らかでした。
「個人差」の標準偏差が山の大きいところから外れているタイプ。
だから「同じタイミング」で「同じ内容」を「同じやり方」を求められる学校が合わなくなることなんて予測が付いたことです。
そしてそれが前提としてある以上、人間関係の構築も難しい、それも明らかでした。

息子には凸凹があります。
その凸凹をなかったこととして勉強をする、人間関係を構築する学校では息子の凸凹は問題視され、それはすなわち息子自身を問題視されることに繋がり、最終的にはきっと本人が自分自身を問題視することに繋がります。

でも社会に出てしまえばその凸凹を活かす仕事もあると思うし、今は色んな働き方がある。
そしてそれを活かせる場所であれば凸凹があっても人間関係を構築することは可能。

だから息子が学校に行けなくても、行こうとしなくても、きっと好きなことを細々とでも続けいけば息子にとっての幸せな人生に繋がると思います。

日本社会は世界に比べたら多様性を認めていない社会かもしれません。
それでも学校という場所に比べれば社会のほうが多様性に満ちている、そう思います。

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