義務教育にもっと柔軟性を、もっと進歩を!

不登校

こんにちは!ぽちママです。

昨日に引き続き、義務教育について思うことを書きます。

タイトル通りです。
今の社会と比べて義務教育の柔軟性の無さ、進歩の無さ!
「不登校児の数」は実社会と義務教育との解離に比例していると私は思っています。

だって小学校中学校はなんにも選択できないんですもん。
学ぶ内容もツールも。

明らかに時代遅れな内容やツールなのに、それを使うしか許されないんですもん。

うちの息子、コンパスとか上手に使えないんです。
図形学ぶ時、コンパスをうまく扱えないことに意識が行っちゃって内容が入らないんです。
いっそのことCAD使わせてくれればどんなに効率的かと思います。

もし小学校なり中学校なりに入学して、どのツールを使って学びますか?って聞かれたらまずはノートと鉛筆。本人が希望したらパソコンに切り替えます!って言います。
大講義室と小講義室のどちらにしますか?って聞かれたら、迷わず小さい方で!って言います。
宿題は多めと少なめ、どっちにしますか?って聞かれたら、やってみてから本人に決めさせます!って言います。
制服はどうしますか?って聞かれたら、本人に決めさせます!って言います。

息子は漢字はあんまり書けないと思います。
でも書く必要がある時はスマホで調べれば良いと思っているので将来的に困らないと思います。
実際私も日常的に使う漢字以外はほぼ忘れているので不安な時はスマホで調べてから書きます。
記憶媒体や調べるツールが一人1台になった時代に、暗記は時間の無駄。
いくら頑張ったところで機械の記憶力に比べたら私の記憶力など皆無に等しいと思います。
もちろん自分の進みたい分野のことは絶対に暗記したほうがいいと思います、調べる時間が勿体ないので。
でもそれ以外のことはその都度調べても良いと思っています。

こういう前提がなく、今尚暗記中心の勉強で学力を測ることに何の意味があるのかと。
絶対に先生たちもその都度スマホやパソコンで調べて生活しているはず。
なのに子どもたちにはそれをさせない。

何回も書いてテストまで受けて暗記した漢字も、文章書けなきゃ使えないんです。
英単語や構文を覚えたって、話すこと、表現することがなければ使わないんです。

何かを誰かに伝えたい、そう強く思うことが文章力や表現力を伸ばすことに繋がる。
授業内容もツールもすべて同一であることを押し付けられていては、誰かに何かを伝えたいという欲求は生まれない。
選択肢を与えないことは、裏を返せばみんな同じでなければならないという同調圧力をも生み出す。

義務教育がこの体制でなければ不登校児の数が22万人などになっていなかったと思います。

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