他の子と同じようにさせてあげなくては可哀相という思い込み

こんにちは!ぽちママです

子どもを育てていると『周りの子たちと同じように行動出来ないと可哀想』というの考え方の人が多いような気がします。
そしてそれは世代間に渡って浸透しています。

うちの息子のことで祖父母がだいたいこういうことを言ってきていました。
他の子たちが学校に行っているのに自分だけが学校に行けないのは可哀相。
卒業式に出ないのは可哀相、修学旅行に行かないのは可哀相、大人になったときに皆んなと同じような思い出がなくなる。
自分だけ勉強が出来ていないのは可哀相、運動が苦手なのは可哀相。
皆んなが運動場で遊んでいるのに一人で教室で絵を描いているのは可哀相。
皆んながUNOで遊んでいるのに、一人だけ交わらずYouTubeを見ているのは可哀相。

言い出したらキリがありません。
でもこれ、殆どが私も考えていたこと。
他の子たちが学校に行っているのに一人で家で苦しんでいる息子が可哀相だと思いました。
息子は勉強が苦手だったし、運動も得意ではなかったので可哀想だと思いました。
だから勉強は厳しく見たし、運動会の前はスタートダッシュの練習もさせました。
保育園や小学生の時に皆んなが校庭で遊んでいるのに一人教室で絵を描いている息子を可哀想だと思いました。
他の家族と泊まりでスキー旅行に行った時、皆んながUNOで盛り上がっているのに誘っても一人だけYouTubeを見ている息子が可哀想だと思いました。

でもこれはほとんどが私の思い込みでした。
卒業式に車椅子で参加したのはきっと大変だったと思います。
でも息子は私たち親が感じているほど自分で辛いとは思っていなかったかもしれません。
勉強や運動も、息子は自分を他の子と比べてどう、とかは考えていませんでした。
だってそこに価値をおいていなかったから。
皆んなが運動場で遊んでいる時に絵を描いていたのも、本人がそれをしたかったから。
UNOに参加しなかったのはUNOが好きじゃなかったから。
すべてが息子自身の個性だし、行動に関しては本人が望んでそうしたこと。

それを同調圧力で許してくれなかったのが中学校。
集団生活や同調圧力に苦しまずに登校できればそれはそれで幸せだったとは思います。
でも息子はそうではなかった。
だから息子は学校に行けなくなったし、行かない選択をした、それだけのこと。
個性を曲げて、自分のやりたいことをやれず周囲に合わせる生活、その方が息子にとってはよっぽど辛いこと。
息子はきっと可哀想だと思われるような感情では生活していないんだと思います。

そして私がそれを理解したころから息子は更に元気になりました。
自分自身の思うがままに生きていい、間違っていないと確信が持てたのかもしれません。
私の勝手な思い込みが息子を苦しくさせていたのかもしれない、今はそう思います。

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